「男はつらいよ」45周年記念 私と寅さん

夜汽車に乗って

CAPそうたさま (40代~ ) 関東 在住

列車の旅が好きで、中学生になるとよく夜汽車に乗って旅にでました。
家の明かりが見えると、寅さんのセリフを思い出したもんです。

きっと、この列車にも寅さんが乗っているかも?なんて妄想にふけっていたこともありました。

産まれも育ちも東京の下町なので、とらや(くるまや)のおいちゃん、おばちゃんのようなお店、タコ社長の町工場、自分の生い立ちと重なるところがあります。

夜汽車もなくなり、お店はコンビニなどに変わり、町工場もなくなってきました。
薄れゆく、記憶を思い出させてくれるのが、寅さんの映画だと思います。

最近は、DVDもあり気軽にみられるようになりましたから、しばしの現実逃避で楽しんでおります。


寅さーん!

春日さま (40代~ ) 北陸 在住

吉岡クンをはじめて飲み屋につれてくとこかな
一気に酒を煽ってむせる吉岡クンに
『なんだ、酒の飲み方も知らないのか…』
と、塩辛と熱燗でお手本見せるの
なんかかっこいいと言うか
スタイリッシュというか
とても印象に残ってます
ちょっと不良な兄貴的な人自分には居なかったので…


親愛なる車寅次郎様

池田厚司さま (50代~ ) 関西 在住

あなたがこの世を去って18年。自由奔放に生きるあなたに自分自身を重ね、自分の人生をよく正当化したものです。18年前のあの夏、波乗りから帰る車のラジオで聞いたあなたの訃報。海での疲れに、さらに追い打ちかけるような疲労感と虚脱感。人生の追い風を失ってしまったようで、その年を最後に二度と海に出ることはありませんでした。ヤンチャだった自分も、還暦目前。結局、寅さんも自分も自由奔放すぎて、時代の波には乗れなかったのかも知れません。そちらの世界の居心地はどうですか。お伺いするその日まで、どうか穏やかなベタ凪でありますように。


心の安らぎでした。

風さま (40代~ ) 九州、沖縄 在住

わたしは不安が酷く、何事をするにしても不安で心がいっぱいになり疲れる毎日でした。20代の時、会社の命令で東京に転勤になりました。友だちも一人もおらず、休日はずっと部屋の中で寝ている毎日でした。そんな時、ふと寅さんを思いだし柴又の帝釈天まで何度足を運んだことでしょう。当時、東京の中野にいましたので、思ったより帝釈天までは遠く、それでも、寂しさを紛らわすために通っていました。そうそう、田舎の両親に帝釈天の参道からイナゴの佃煮を送ったこともありました。
地元に帰って来てからも、寅さんのDVDを少しずつ集め、なにか不安なことがあると、「男はつらいよ」のDVDを見て、心を落ち着かせていました。
ある日、やはり精神的に辛いことが多く、疲れている時、自分の地元が御前様、笠智衆さんの出身地であるという事に気がつき、それから笠さんの生家、来照寺を探し、もうすっかり古びてしまっている「『男はつらいよ』の看板」や、「『秋刀魚の味』の看板」「『東京物語』の看板」などをぼーっと見て帰ることが数度ありました。来照寺は、ひっそりと田舎の細道の奥にあり、普通の田舎のお寺ですが、笠智衆さんの立派な記念碑がしかしひっそりと建っています。
その笠智衆さんの生誕100年の時、笠さんの生まれた町に山田監督がいらっしゃってくれました。講演の中で「いつか小津さんの『東京物語』を超えるようなものをつくってみたい」とおっしゃっていましたが、昨年、山田監督はそれを成し遂げられました。
日本人は、いつのまにか「損得」でものを考えるようになりましたが、「男はつらいよ」の登場人物たちは「善悪」でものを考えています。もう、もとに戻ることはないのかも知れませんが、寅さんがいた時代が日本にはあったということは私たちの誇りです。
山田監督にはいつまでも長生きして頂き、安心して私たちが楽しめる喜劇を作り続けてほしいと思います。長々と失礼いたしました。


まだまだ五十代

野球小僧二郎さま (50代~ ) 関東 在住

とらさん。そう-初めての出会いは40年、50年程前になりますね、tv番組での出会い、青島幸男さん、渥美清さん主演の「泣いてたまるか」。小学生でありながら がんばって 生きてゆこう、なんて思いながら見ておりました。
主題歌なんて 今もって そらで歌える程、柴又には 自転車で30分程の距離、何時までも帝釈天の寅さんは 今日も鞄を持って参道を歩いていますよ。


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