「男はつらいよ」45周年記念 私と寅さん

これからも寅さん

おばちゃんさま (50代~ ) 中部、東海 在住

私が始めて寅さんを観たのは高校の映画観賞の時です。
洋画に憧れていた私達は「男はつらいよ」を観ると知った時
「え〜邦画なの?つまらない〜寝ちゃう」の批難の声でした
しかし!観賞後、女子高生の心をどう感じさせたのか誰も不満を言う人はいませんでした。
そして時が流れ、おばちゃんになった私は昨年から寅さんの虜になっています。
寅さんが家族と喧嘩をして家を飛び出し何ヶ月後に何事も無かった様に旅先の
公衆電話から「さくらか?」って話しをするシーンが大好き(泣けます)です。
さくらが受話器を両手で持って「お兄ちゃんなの?今どこ?」って待ちに待ったお兄ちゃんの声に心弾ませて話すさくらさんのシーンは毎回泣けます。
電話を出る前から相手を知ることが出来る今の時代では、さくらの様な感情は無くなった気がします 私達が失くしちゃったんですよね

月に1回寅さんファンの方々と観賞会があり参加させてもらっています。
興味深い前説があるので何度か観た作品も新鮮で毎回ワクワクしながら観ています。


あぁ、勘違い

聖子(しょうこ)さんの弟さま (40代~ ) 関東 在住

私は5年程前から寅さんに興味を持ち、DVDなどで観ているのですが
先日、佐藤利明さんの『寅さんのことば』を読んでいて
1つ、大きな勘違いをしていた事に気付きました。

実は私、よく寅さんが口にする「よぉ、備後屋、相変わらずバカか?」の‘備後屋,を
ずっと‘りんご屋,だと思っていたのです(^^;
‘備後屋,という屋号を知らなかったので、漠然と、八百屋か果物屋を表す言葉として
‘りんご屋,と呼んでいるのだと思っていました(^^;

で、その備後屋さんですが、りんご屋さんではないと分かった今(^^;
何屋さんなのか分かりません(^^;
どこかの作品で、出て来てましたっけ(^^;?


いつ寅さんに会っても良いように。

大沢祥子さま (~20代 ) 北海道、東北 在住

幼稚園の時からの寅さんファンです。今でも寅さんを週に2回は観ています。きっかけは、別の映画を家族で観に行った時、当時5歳だった私が、映画の前に流れた男はつらいよの宣伝にゲラゲラ笑ったため、両親が「男はつらいよ」の映画に連れていってくれたことです。舞台あいさつには3度行きました。人があふれるほど満席で、通路に座ったことがありました。舞台から3列目の中央に座ったこともありました。その時、ひざの上に幕の内弁当をのせていたら、渥美清さんが冗談のように、別の観客の男性に向かって「おい、弁当食いながらみてんじゃねーよ」と言ったため、私は自分も怒られるんじゃないかと思ってこっそりとお弁当を隠しました。
あの時の私は子どもだったので、寅さんは目もくれませんでした。今の私だったらどうでしょうか。肩書きや上っ面では人を判断しない寅さんに、声をかけられるような魅力的な女性になれているでしょうか。そう、自分に問い掛けると、本当に大切なものだけがみえてくる気がするのです。


私の心の拠り所

マイユウさま (40代~ ) 中部、東海 在住

私は、仕事で辛いことがあった時、行き詰まって悩んだ時に必ず観るのが寅さんの映画です。仕事から帰宅して沈んだ気持ちの時に寅さんのDVDに助けを求めます。自分のお気に入りの作品を観ているうちに、いつしか私の沈んだ気持ちは軽くなり、『よし、また頑張るか!』という気持ちに変わっていくのです。うまく説明はできません。でも、誰にも相談できない沈んだ私の気持ちを何度となく救ってくれたのは、寅さんの映画なのです。私にとって寅さんの映画は、特効薬!大切な心の拠り所なのです。


今は亡き恋人と…

柴又灯篭さま (30代~ ) その他 在住

「男はつらいよ」は傷心の私を癒し、大切な人と引き合わせてくれた大好きな映画です。
私は7年もお付き合いした男性と結婚式まであげ、結局入籍する直前に破局しました。多くの人達に大迷惑をかけ、私は自責の念から両親の顔も正面から見ることができず、食事も喉を通らない日々を過ごしました。

傷心のある日、人づてにひょんな事から一人の男性と知り合いました。
自分の親ほど年の離れた男性でしたが、お互いすぐに意気投合。私の全てを認め、尊重してくれる方でした。彼は東京生まれ東京育ちの江戸っ子。私は東京からは遠く離れた田舎の街に暮らし、本当に思いもかけない知り合い方でした。
ガンを患って長い闘病を続けている人でしたが、「病気とは一進一退、長く付き合ってるからまだ死にゃしないよ」と常に明るくユーモアあふれる彼に私の心も少しずつ癒されていき、毎日電話をして、手紙のやり取りをして、寅さんの話をして関係を深めました。
知り合ってから3ヶ月。私が東京へ旅行に行き、彼と一緒に柴又、帝釈天や江戸川等、草だんごを頬張りながら寅さんに縁のある場所をたくさん歩いて周りました。
傍から見たら、父と娘のような二人が手をつないで身を寄せ合いラブラブしていたのはきっと滑稽に映ったでしょう。それでも私たちは最高に幸せでした。

しかし彼の病気はだんだん悪化して行き、結局知り合って1年半後、彼は亡くなりました。最後の1ヶ月、私は出来る限り彼の元へ足を運びました。
最後は大好きな寅さんの話も出来ず、私はベッドの横で一日中彼の手を握っているだけでした。でも彼が亡くなった時、不思議と寂しくありませんでした。私に出来る事は全てやったという気持ちと、彼に対する感謝の気持ちが溢れていました。

彼と知り合えたおかげで、私も少しずつ元の元気を取り戻す事が出来ました。寅さんの映画を見るたび、彼と二人で行った最初で最後の柴又旅行を思い出します。病気のために仕事を辞めてしまいやるせなさや情けない気持ちで日々を送っていた彼、結婚に失敗し多くの人を傷つけ誰にも心を開けなくなっていた私。そんな知り合うはずも無い二人が出会い、寅さんのおかげて二人共前向きになれた。
それまで大好きだった寅さんをさらに大好きになりました。
そして今の私は、東京で愛情と人情を人に与えられる仕事に就きたいと夢を持っており、日々その夢に向けて努力しています。


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