「男はつらいよ」45周年記念 私と寅さん

日常会話に役立ってます

スマイルさま (50代~ ) 関東 在住

寅さんの作品は全て見ました。
寅さん映画はほのぼのとして、笑いがありジーンときたりと
とても楽しくて何回も何回も見ています。
何回も見ていますと、セリフを覚えてしまい日常会話で
寅さんから学ばせて頂いたトークを使っております。

「朝ごはんはちゃんと食べているの」なんて聞かれると、
「そうねえ、朝ごはんはしっかり食べますよ、
炊きたてのご飯と熱い味噌汁、一塩のしゃけ、
一夜ずけのおしんこ、パリパッリとした浅草海苔、
板わさが二切れ 三切れ、ちょっことワサビずけが付いていたりいなかったり」
「健康的な朝ごはんを食べているのね」って良くいわれます。

営業でお客様宅に訪問した時に、
「少し聞きたいことがあるから上がって
くださる。」と奥様に進められた時、もしも奥様がお一人の場合
「奥様、ご主人がおられない奥様お一人の家、それでなくても
うわさの種になるといけませんから、またお伺いさせていただきます。」
「あら、そこまで気にされなくてもよろしんじゃありません。」
いえ、気にしてしまうんですね。

時には、「夏休みはどちらか出かけるの」
「 え今年は◯×⁇イーンへ行こうと思っているんだ。」
「えええ…!ウイーン?凄いないいな!」
「いえウイーンじゃ無くて湯布院です。温泉場の」
「ウイーンじゃなくて湯布院なんだ、聞き間違えちゃったははははは」
自然と笑いがこぼれます。

寅さんから学ばせて頂いたトークはまだまだたくさんあって、
書きれません

車寅次郎先生は私の師です。


人生そのもの!

mitsuo furuyaさま (40代~ ) 関東 在住

渥美清さんが産まれた年は昭和3年、自分は丁度40年後の昭和43年、
妻は昭和44年産まれ、何だか、運命的な・・・単なる偶然ですが
正しくこの’男はつらいよ’と共に人生を歩んできた思いです。


才能だよ

竹村 謙二郎さま (30代~ ) 関東 在住

今年、闘病わずか2ヶ月で、父が逝きました。
親子ながら、妙に気が合う関係でした。
受験勉強中の私に、「プロレスが始まるから一緒に見ようぜ」と誘う、そんな父でした。僕もまた、喜んで父と観戦したものです。新しくなった歌舞伎座の杮落としも2人で行きましたね。
ある時、ほろ酔いの父は僕に言いました。「お前な、寅さんみたいに生きるのにも、才能がいるんだぞ。お前には、それはない。お前みたいなもんは、真面目にコツコツ努力するしかないんだよ」
受験勉強を中断して、父の晩酌&プロレス観戦、プロ野球ニュースに付き合い、CMになった時の話です。
寅さんのようには生きられなかったけど、父の心にも、私の心にも、寅さんは居て、無垢な気持ちを与えてくれたように思います。
その時、その気持ちが本気なら、それでいいじゃねぇか、と。


寅さんと『赤とんぼ』

喜多興三さま (60代~ ) 関東 在住

“フーテンの寅さん”渥美清氏の別の顔、句集『赤とんぼ』を読んだ。俳号は「風天」。いやはや、びっくり感動。どの句も、市井の庶民の日常、季節の移り変わりを鋭くスパッと、しかも気取りなく詠まれている秀作である。その『赤とんぼ』より小生の気に入ったベスト10句をご紹介。
『うつり香の ひみつ知ってる 春の闇』
『げじげじにもある うぬぼれ 生きること』
『そのはねで あの空飛んだか 置物の鷹』
『ひばり 突き刺さるように 麦のなか』
『やや寒く 田端の駅の 操車場』
*小生ご幼少のみぎり(3~4歳の頃か)、田端(日暮里?)駅で乗換の電車を待っていると、SL機関車の汽笛が轟音を発したので、あわてて父の股に逃げ込んだことを覚えている。
『夜光虫 夜釣りの客の 軍歌かな』
『赤とんぼ じっとしたまま 明日どうする』
『花びらの 出て又入る 鯉の口』
『羽虫飛ぶ 葡萄のさだめ 客の果て』
『朝寝して 寝返りうてば 昼寝かな』
『少年の日に帰りたき 初蛍』
『髪洗う わきの下や 月明り』
『花道に 降る春雨や 音もなく』*晩年の句、結局、13句となってしまいました。


心の支え

ちび子さま (40代~ ) 中部、東海 在住

20歳年上の旦那さんの影響で観始めてから大ファンになりました。
嫌な事があっても寅さんを観るとテンション上がる私には大事な心の支えになってます。
今でも二人でゲラゲラ笑いながら、時にはホロホロ泣きながら楽しく観てます。
これからもわたしの一生の支えです。


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