「男はつらいよ」45周年記念 私と寅さん

人生そのもの!

mitsuo furuyaさま (40代~ ) 関東 在住

渥美清さんが産まれた年は昭和3年、自分は丁度40年後の昭和43年、
妻は昭和44年産まれ、何だか、運命的な・・・単なる偶然ですが
正しくこの’男はつらいよ’と共に人生を歩んできた思いです。


心の支え

ちび子さま (40代~ ) 中部、東海 在住

20歳年上の旦那さんの影響で観始めてから大ファンになりました。
嫌な事があっても寅さんを観るとテンション上がる私には大事な心の支えになってます。
今でも二人でゲラゲラ笑いながら、時にはホロホロ泣きながら楽しく観てます。
これからもわたしの一生の支えです。


夜汽車に乗って

CAPそうたさま (40代~ ) 関東 在住

列車の旅が好きで、中学生になるとよく夜汽車に乗って旅にでました。
家の明かりが見えると、寅さんのセリフを思い出したもんです。

きっと、この列車にも寅さんが乗っているかも?なんて妄想にふけっていたこともありました。

産まれも育ちも東京の下町なので、とらや(くるまや)のおいちゃん、おばちゃんのようなお店、タコ社長の町工場、自分の生い立ちと重なるところがあります。

夜汽車もなくなり、お店はコンビニなどに変わり、町工場もなくなってきました。
薄れゆく、記憶を思い出させてくれるのが、寅さんの映画だと思います。

最近は、DVDもあり気軽にみられるようになりましたから、しばしの現実逃避で楽しんでおります。


寅さーん!

春日さま (40代~ ) 北陸 在住

吉岡クンをはじめて飲み屋につれてくとこかな
一気に酒を煽ってむせる吉岡クンに
『なんだ、酒の飲み方も知らないのか…』
と、塩辛と熱燗でお手本見せるの
なんかかっこいいと言うか
スタイリッシュというか
とても印象に残ってます
ちょっと不良な兄貴的な人自分には居なかったので…


心の安らぎでした。

風さま (40代~ ) 九州、沖縄 在住

わたしは不安が酷く、何事をするにしても不安で心がいっぱいになり疲れる毎日でした。20代の時、会社の命令で東京に転勤になりました。友だちも一人もおらず、休日はずっと部屋の中で寝ている毎日でした。そんな時、ふと寅さんを思いだし柴又の帝釈天まで何度足を運んだことでしょう。当時、東京の中野にいましたので、思ったより帝釈天までは遠く、それでも、寂しさを紛らわすために通っていました。そうそう、田舎の両親に帝釈天の参道からイナゴの佃煮を送ったこともありました。
地元に帰って来てからも、寅さんのDVDを少しずつ集め、なにか不安なことがあると、「男はつらいよ」のDVDを見て、心を落ち着かせていました。
ある日、やはり精神的に辛いことが多く、疲れている時、自分の地元が御前様、笠智衆さんの出身地であるという事に気がつき、それから笠さんの生家、来照寺を探し、もうすっかり古びてしまっている「『男はつらいよ』の看板」や、「『秋刀魚の味』の看板」「『東京物語』の看板」などをぼーっと見て帰ることが数度ありました。来照寺は、ひっそりと田舎の細道の奥にあり、普通の田舎のお寺ですが、笠智衆さんの立派な記念碑がしかしひっそりと建っています。
その笠智衆さんの生誕100年の時、笠さんの生まれた町に山田監督がいらっしゃってくれました。講演の中で「いつか小津さんの『東京物語』を超えるようなものをつくってみたい」とおっしゃっていましたが、昨年、山田監督はそれを成し遂げられました。
日本人は、いつのまにか「損得」でものを考えるようになりましたが、「男はつらいよ」の登場人物たちは「善悪」でものを考えています。もう、もとに戻ることはないのかも知れませんが、寅さんがいた時代が日本にはあったということは私たちの誇りです。
山田監督にはいつまでも長生きして頂き、安心して私たちが楽しめる喜劇を作り続けてほしいと思います。長々と失礼いたしました。


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