「男はつらいよ」45周年記念 私と寅さん

テレビのふうてんの寅さん

おおひがし まさはるさま (60代~ ) 九州、沖縄 在住

テレビでの ふうてんの寅さんをもう一度見たいです。笑い転げました。出演者達も、渥美清さんの、アドリブで笑いをこらえて 演技をしてたので、また笑いです。

東京に行った時、真っ先に柴又に寄ったのですが、想像どうりの所でした。山田監督が
あの場所を 寅さんの舞台にしたのが、解ります。私も、大阪出身ですが、大阪の雰囲気が 在るように思えます。


アバヨ!寅さん

やけのやんんぱちさま (60代~ ) 関東 在住

寅さんが別れ際に言う「アバヨ」「達者でな」のシーン、スローな主題歌に淋しそうに電車に乗り込む姿、いつもいつも涙が出てきてしまいます。
きっと現実に天国に旅立ってしまった寅さんが、映画の中の別れのシーンでもそのまま永遠に旅立ってしまうんじゃないかと、ふとそんなことを思い浮かべてしまいます。
寅さんの映画が終了して20年近く経ちますが、寅さんはじめ、御前様、3人のおいちゃん、おばちゃん、タコ社長と次々他界してしまい淋しさが募るばかりです。
テレビでの再放送、DVDでの鑑賞で在りし日の寅さんを偲び、何度も笑い、感動し、そして涙したいと思います。
アバヨ!寅さん


素の渥美清さんは「シブ」かった!

玉川俊樹さま (60代~ ) 関東 在住

時が遡る事40年前!
彼女と映画(丸の内ピカデリーでアランドロンとジャンポール・ベルモントの「ボルサリーノ2」)
を観る約束をし、日劇の前で待ち合わせ!
当時はスマホもケータイも無い時代だったので、連絡の取りようが無く1時間近く待ちぼうけ!丸の内松竹では寅さんの映画が上映されており写真が展示してあった、それを眺めながら時間つぶし!
2メートル位横に中年の男性が近ずき同じく写真を観ている、何気なくその男性を見るとなんとなま渥美清さんが立っているではないか?!!
その瞬間私の体は硬直し身動きできなかった、もう一度目だけでチラ見!ヤッパリなま寅さんでした!
ものの30秒位だったと思うが写真を見ていた渥美さんが、どういう意味かは解らないが「やってるな」とつぶやき日劇に入っていった!
素の渥美清さんは「シブ」かった!
結局、彼女は来ませんでしたが1時間待ちぼうけして「寅さん」に逢えた私は、すっかり彼女の事も忘れて夢心地で帰宅しました!!
小生61歳、あの40年前の事が昨日の事かのように鮮明に心に残っております!
寅さんワールド不滅であれと願い終わります!


寅さんと旅

モノクロマンさま (60代~ ) 関西 在住

初めて柴又帝釈天や江戸川を訪ねたのは、もう今から40年も前の学生時代です。
もうすっかり変わったでしょうね。その頃は、未だ「男はつらいよ」を観るのに映画館へは
足を運んでいなかったです。その後2~3年して、今はもうこの世にいない写真仲間から
「君は山田洋次監督の『男はつらいよ』を観たことある?」
って聞かれ、「いいえ未だ観てないですね」と答えてしまいました。
彼の一声で、一度観てみようと映画館へ。
当初はさほど気付かなかったことが、歳を重ねるごとに人の繋がりや人情、日本の風景の素晴らしさに映像を通して強く感じ入るようになりました。
お金を掛けなくてもこの映画を観ることで旅をさせてくれると、思った程です。
結婚してからも子供達を連れ、年に二回の放映もありましたね。
正月とお盆頃、必ず家族で映画館へ。私にはこの映画がマンネリと言われていたこともあったようですが、新しい発見もあり決して「後悔しない」映画でした。
公衆電話から柴又へ10円玉を何枚も用意してかけるシーンも印象的です。
沢山の寅さんの旅をまたビデオで観ることにしましょう。


矢切の渡し

ノスタルジアさま (60代~ ) 中部、東海 在住

寅さんが亡くなった年の晩秋に葛飾柴又に初めて行きました。
シリーズに欠かせない「矢切の渡し」に乗って、船頭さんに
「寅さんを偲んで信州白馬村からやって来ました。」
と話すと、対岸に着いて降りてからも寅さんのエピソードを
語ってくれました。
シリーズ最後の頃になると寅さんは体調も悪くなり、
撮影の合い間には椅子に座る事も多くなり、付け人やスタッフが
団扇で扇いでいたが、いかにも辛そうだったとか。
そんな事情知らないロケ見物の寅さんファンがサインをねだっても
応じない寅さんを「最近、寅さんは態度がでかくなったね。」と
陰口が聞こえて来て船頭さんもつらかったとか。
でも息子さんの結婚式に出席してくれた事をは本当に嬉しそうに
語ってくれました。
帰りの舟は寅さん気分でした。


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